祖父母は地元でも有名な世話好きの仲人でした。
縁談があると聞けば、写真と釣書(身上書)を抱えて西へ東へと出かけ、遠くの村でも朝早くから歩いて訪ねていたそうです。家には日が暮れるまで、縁談を求める方々が絶えず訪れていたと聞いています。
戦時中であっても、食卓には鯛やお祝いの料理が並び、食べることに困らなかったのが父のちょっとした自慢でした。
とにかく人の世話をするのが好きで、83歳で亡くなる数日前まで、変わらずせっせと縁談をまとめていたというから本当に驚きです。
当時の結婚は、両家の家柄や条件が釣り合えば、本人の気持ちよりも縁談が先に決まってしまう、そんな時代でもありました。
祖父母が亡くなった後も、「良縁処」という噂を聞きつけて、遠方からもご縁を求める方が後を絶たない日々が続きました。
そんな中、自宅で茶道や華道の教室を開いていた母が、生徒さんたちのお相手探しも兼ねて、自然な流れで祖母の後を継ぎ仲人を始めました。
その折、友人からの紹介で全国規模の結婚相談所に加盟することになり、本格的に「結婚相談所」としての歩みがスタートしました。
幸いにも、祖母の代からご縁で集まってくださる方々や、年頃のお茶・お華の生徒さんたちが多くいらしたおかげで、ご縁がご縁を呼び、会員数はどんどん増えていきました。
やがて全国区の相談所連盟から独立し、「アイ結婚情報サービス」として「地域に密着した縁結び」を大切にする結婚相談所へと成長。
雑誌の取材を受けるようにもなりました。
その後、バブル景気や第二次ベビーブームの世代が適齢期を迎え、アイ結婚情報サービスのネットワークは東海三県へと広がりました。
年4回開催していたお見合いパーティーも、毎回200名を超える参加者でにぎわい、数えきれないほどのご成婚が生まれました。
当時は結婚が決まると、両家の顔合わせや結納・お引き出結納・菓子撒き、そして盛大な結婚式が当たり前のように行われていた時代です。
紅白幕に囲まれた「バック禁止」の嫁入りトラックが列をなし、ご近所に嫁入り道具を披露する「衣装せ」、そして文金高島田姿で嫁入りタクシーに乗り込む、そんな懐かしい風景もありました。
平成から令和へと時代が移り変わる中、私たちは「アイ結婚情報サービス」を引き継ぐことになりました。
ちょうどこの頃から、婚活のスタイルにも少しずつ変化が見え始めました。
出会いの手段は「相談所」や「婚活パーティー」だけでなく、「街コン」や「マッチングアプリ」など、より多様になり、FAXや電話が中心だったやりとりも、パソコンやスマホを使ったオンラインでのコミュニケーションが主流に。
さらにコロナ禍を経て、お見合いや入会説明などもオンラインで行うのが当たり前になりました。
きっとこの先も「お相手と出会うツールやサービス」は、ますます進化し、便利になっていくことでしょう。
そんな時代の流れを受け止めながらも、アイ結婚は『本気で結婚を望む方に安心して利用していただける結婚相談所』であり続けたいと願っています。
新しい出会いの形を取り入れつつも、伝統的な仲人の良さを大切にしながら、これからも「人が繋ぐご縁結び」を丁寧に続けてまいります。